覚え書き(入院から退院、帰宅後まで)

19日入院。B棟10階8009号室。御茶ノ水駅寄りの角部屋。南側だけでなく、東側にも小さいながら窓。トイレシャワー付きと言ってもシャワーは自由に使えない。面会人が沢山来るならいいだろう無駄なスペースあり。
着いた途端青空が一変し、激しい雨。ラッキーだった。
モニターを付けるがこれが重くて邪魔。首に掛けると首肩が凝る。点滴の準備も。左は入らず、なんとか右で入る。血管細過ぎ。
事前に昼食はいらないと話した際、それは入院時に相談してくださいと言われたが、昼食はなし扱いになっていた。
ナチュロに水2L1本を買いに行き、ついでにブルベリーヨーグルトとミニ羊羹を購入。昼食代わりにブルーベリーヨーグルトを食べる。
6時過ぎ夕食。結構量もあり、美味しかった。以前より断然良くなっている。デザートにミニ羊羹。
20日、入院前は午後のオペと聞いていたが午前がいいと言っておいたからか朝1番目に。朝食はなし。2時間はかからなかったようだ。想像を超える苦しさ。痛みもだが、それより苦しいと言う感じ。局所麻酔は聞き取れないことも含めて聞こえるが、苦しんで痛いと言っても、そばで大丈夫と励ましてくれる人はいない。不安と心細さ。誰かこの大変さをわかってほしい。でも、分かち合える人はいない。もっと看護師さんが励ましてくれると勝手に思っていた。
術前から少し胃が痛かったが、朝食を食べてないので昼食を半分くらい食べる。頭痛が始まりだんだんと強くなる。夕方、執刀医の黒田先生が顔を出し問題なしとのこと。その後すぐ、いっきに嘔吐。マスクがあり、助かるかと思いきや、3回分はムリだったが、その時はなんとかたどり着きマスクごと便器へ。昼食のお出汁の味と香りが強かった。その後も残りを嘔吐。さらに3回目は胃液に。フラフラ。
夜9時頃?ようやくカロナール2錠。少し遠くに行った感あるも11時にはまた痛みが強くなる。服薬は間隔を空けないと、と言われる。その後いつか定かでないが、また反射的嘔吐。1時頃か点滴で鎮痛薬。朝方までなんとか弱まるも治る気配なし。吐き気は治る。
21日朝7時半、採血。車椅子で朝1番の心電図(同じ階、8時半頃?)。胃は空だし、元気出さないと、と朝食は食べれる物を3分の1くらい食べる。ごはんでよかった。美味しく感じられた。カロナール服薬。退院後にと、その場で2回分くれる。頭痛は遠くにいる感じ。とにかくフラフラ。その後、車椅子で6階レントゲン。
9時半頃?問題なしで退院と。黒田先生は来なかったと思う。記憶が曖昧。こんなに調子悪くて帰宅後ひとりで何もできない状態でも、次の人が決まっていると出される。もっと具合の悪い人がいると諦めるしかないのか。
荷物を30分くらいでまとめて、後は横になっていた。11時くらいに呼びにきた。タクシー乗り場までとても荷物を持って行けないので車椅子をお願いする。帰ってくれるならそれくらいということなのか、会計も含め、タクシーまで乗せてもらう。頭痛はじっとしていれば遠くだが頭を動かすとう〜んとなる。
帰りもいい天気。よかった。少し肌寒い。
12時帰宅。パジャマに着替え倒れ込む。2時頃、目覚め、カロナール服用。よく考えたら、看護師がカロナールは効かないようなことを言っていた。検索すると効き目が弱いよう。胃に配慮しているのかも。
4時半頃、頭痛はだいぶ落ち着いたので、胃が消化できるか不安だったが、飲むヨーグルトと黒毛和牛とエビのバーガーとおはぎを食べ、太田胃酸服用。
5時頃、アセトアミノフェンはダメだと、イブプロフェンの市販のナロンエース服用。
8時過ぎに目覚め、サラダを食べる。
その後、寝たり起きたり。頭痛は薬を必要とする程にはならず。胃も大丈夫なようだ。
22日朝6時目覚める。まだ完全ではないかもしれないが痛くない。
8時過ぎ、起床。身体がフラフラするが大丈夫そう。これくらいになってから退院したかった。
普通の人なら朝1番にオペしたら、午後はルンルンで翌朝退院時もスタスタ1人で歩けると思う。
オペのため、カテーテル挿入した右脚付け根は1度も痛くない。今日は若干つっぱる感じがあるが。胸も痛くない。ということは、頭痛吐き気さえなければ元気ということ。
普通の人は腰が痛くなったりするらしい。
今頃思い出したが、以前、松島病院でオペした時も術後激しい頭痛で薬が効かなかったことを思い出した。ここで足止(漢字変換できず)をオペした時のことはなぜか思い出せない。